Success Boy's Diary

ごく一部身内に大好評のブログですが、単なる備忘目的的日記です。

大村益次郎

相変わらず体調が悪いために、仕事以外はほとんど外出しない日がここ四年半ほど続いています。

しかし今日は山口市に所用があったので出掛けました。

そしてその途中、大村益次郎のお墓参りをしました。
もっとも、本当は所用よりもこちらが最重要の案件でしたが。

大村益次郎はわたしが日本の歴史上最も尊敬する人物の一人です。
それは幕末西欧列強から、日本が植民地にされることを防いでくれた人々の中でも特に重要な役割をしてくれた人だからです。

そして吉田松陰と同じように私利私欲が、おそらくまったくと言っていいほど無かった人だからです。

しかしお盆の時期にもかかわらず、誰もお花を手向けることもなく、お墓はひっそりと放置されています。

それではとても悲しいことなので、お盆は少し過ぎてしまいましたが、お参りをさせて頂きました。

もしかしたらすでにお花があるかも、と思ってやや控えめに持って行ったのですが、去年同様お花はありませんでした。

さらにお墓の一部には蜘蛛の巣も張ってあって、やはり悲しい気分になりました。

その蜘蛛の巣を取り払い、お花を供えてお参りを致しました。

今の平和な世の中があるのは、すべて多大な犠牲を払った先人のおかげです。
たとえその後の価値観が変わろうとも、決して感謝の念を忘れてはならないと思います。

そして「来年また来ます」と言って、お墓を後にしました。




立派なお墓です。そしてお墓の周りは整備されているようでした。


大村益次郎のお墓です。


妻、琴子さんのお墓です。






お墓から少し離れた所にある大村神社です。思っていたよりも立派な物でした。
| 歴史 | 20:07 | comments(0) | - |
高杉晋作終焉の地
昨日テレビでローカルニュースを見ていたら、「ラジオ深夜便FMウォークin下関」というのをチラッとやっていました。

これは市内にある幕末維新関連の場所を「ラジオ深夜便」のキャスターと一緒に歩いて巡るという企画だったのですが、その中で高杉晋作終焉の地の映像が映っていました。

この場所は実家から歩いて行く事の出来る距離にあり、去年夏に帰省した際にも寄ったことがあるのでよく知っています。

しかし映像で見たものは全然違っていました。

そこで一瞬「別の場所か」とも思ったのですが、終焉の場所が変わろうはずもなく、当然同じ場所でした。

この地は国道から1本通りを入ったところにあって、もともと碑が建っているだけのすさんでいるというかほとんど放置されている史跡なのですが、映像を見るとすっかり小奇麗になっていました。

何十年とほとんど見向きもされなかったのに、去年の夏以降に整備され突然綺麗なったのは、明らかに大河ドラマの影響だと思われます。

しかし理由がどうであれ先人に対する記憶がこのように再確認されるきっかけになることはありがたいことです。

史跡が整備されれば少しは人が来るようにもなるでしょう。

同様に去年訪ねた大村益次郎のお墓は放置感が漂っていたので、今回のはなおさら感慨深いものでした。







以上は去年撮った画像で、以下は新しくなった画像です。歩道も綺麗になっていて、側溝のフタには高杉家の家紋まであります。


トリップアドバイザーのサイトより
| 歴史 | 06:32 | comments(0) | - |
大村益次郎・鋳銭司郷土館
以前から何度も訪れよう訪れようと思っていた資料館です。

今回ようやく初めて来ることが出来ました。

この資料館は家から実家までの国道沿いの途中にあります。

今まで数え切れないほどその近くを通りました。

しかしこのところは実家まで国道を通らず高速道路を使うことが多くなったためなかなか訪れる機会がありませんでした。

加えて家族ではわたし以外歴史に興味が無いため、おそらくこの資料館を訪れてもわたし以外誰も興味を示さないと思われます。

そういうことがあって今回が初めての訪問です。

なぜわたしがこの資料館を訪れたかったかということですが、それはわたしが日本史の上で最も尊敬している人の一人、大村益次郎についての資料が展示されているからです。

鋳銭司は大村益次郎の出身地でもあります。

大村益次郎についての来歴はウィキペディアに詳しくありますが、幕末長州藩の村医者で、他方、近代西洋の兵学者でした。

大村益次郎はもともと武士ではないこともあり、合理主義というか計算の上で戦うことを信条としていて、武士道とかの精神主義で戦うような人ではありませんでした。

そのため他藩の武士の反感を買い、結果的には暗殺されてしまう遠因となったと思われます。

大村益次郎は長州藩の司令官でしたが(後は新政府軍の総司令官)、戦って負けることは一度もありませんでした。

というよりは、負けるような戦いは最初からしなかったのであろうと思います。

それを考えると昭和初期あたりにこのような人物がいれば大東亜戦争はしなかったのでは、と思います。


おそらく本人はこんなにりりしい顔はしていなかったと思います。






錦絵・大村益次郎像(靖国神社)


母、藤村うめの手紙
「世間のうわさが気にかかるが用心して暮らすように」とかかれています。当時の女性の字としては達筆で、教養が高いことがわかります。(説明文より)


箱提灯とその袋
村田蔵六と名乗っていたときのもので、家紋の桔梗が描かれています。(説明文より)


蔵書






英語ノート
ヘボンに英語を学んでいた時に使っていたノート。筆の字が大村で、鉛筆の字がヘボンと思われます。(説明文より)


数学ノート
大村は原書を翻訳して、幾何や微分、積分などを良く理解していました。(説明文より)


広瀬淡窓の咸宜園に入門した時の自筆名簿と咸宜園絵図


桂小五郎の手紙
大村(当時は村田蔵六)へあてた手紙「長州藩に召し抱える準備が出来ているのでいつからでも出仕するように」と書かれています。(説明文より)


経歴書
長州藩に仕官する時に自分で書いたものです。(説明文より)


青木周弼の推薦状
長州藩でも洋学を盛んにするために、大村を蘭書会読会に参加させるように藩に申し出たものです。(説明文より)








村田蔵六時代の自筆の書








馬の鞍と鐙
英語を学ぶためヘボンのもとへ通う際に使われた馬具。






明治天皇下賜の直垂


1977年NHK大河ドラマ「花神」で大村益次郎は主人公でした。




長州藩の異才という点で大村益次郎が西の横綱というのに異存はありません。


この場所は鋳銭司の名の通り、その昔貨幣が鋳造されていました。国内で主要な場所だったようです。








郷土資料館の裏山に大村益次郎の墓があります。


左が大村益次郎の墓


大村益次郎の墓


妻、琴子の墓


鋳銭司を後にして山下清展を観に行きました。
特別山下清のファンというわけではありませんが、なかなか興味深いものでした。
| 歴史 | 21:17 | comments(0) | - |
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