居合の稽古のあと、みんなでお昼を食べました。
そしてそのあと広島現代美術館へ一人で「
一人快芸術」展を観に行きました。
解説によると、「一人快芸術」とは自己充足の行為という意味合いをもつ造語で、ことさら芸術作品として作られたり、発表されたりしたものではなく、その行為や物に宿る過剰さが多くの人々を惹きつけ、そのような行為をも含めたものとして芸術を捉えたもの、とのことです。
作品を観たところ「自己充足」と「過剰さ」というのがここでのキーポイントなのでしょうか。
とらえどころとしてはとても面白いとは思うのですが、しかしあえて「芸術」というあらたまった難しい言葉を使わなくてもいいような気もしました。
「ことさら芸術作品として作られたり、発表されたりしたものではなく」というある意味気楽さということを考えると、ネーミングとしては「一人快趣味」とか「一人快日常」の方がしっくりくるような...。
出展作品の中で、唯一私が前もって知っていたのは沢田マンションなのですが(今回は写真展示とラフな模型の展示でしたが)、それ以外の作品は作者を含めてまったく予備知識がありませんでした。
今回展示されていた作品は、全体的に玉石混交と言った感じで、なんかこうどううまく説明すればいいのか言葉が見つかりません。
ただ、今回の展覧会を観て、改めて芸術とは何かということを考えさせられました。
私が美術館へ到着したとき、ちょうど【緊急企画! 福住廉トークイベント】が始まる時間でしたので、それにも参加しました。
スペシャルゲストとしては、山下陽光さん(本展出品作家/素人の乱シランプリ店主/トリオフォー)、じゃましマンさん(限界芸人/トリオフォー)でした。
しかしながら、私は三人ともまったく知りませんでした。
そして、あくまで個人的な感想ですが、三人とも話の内容がまったく面白くなかったです。
これほど面白くない話を聞いたことは、生まれてこのかた一度も無い、と言っても過言ではないかも知れません。
何を言いたいのか、何を伝えたいのか、三人が三人とも話がかみ合わず、まったく理解不能でした。
笑わせようとして話しているのかとも思えるのですが、なぜかその都度オチはほとんどなく、なんとも中途半端なトークでした。
そういう意味ではスベるトークではない(スベるまでいかない)のですが、結果、強い脱力感と虚無感・無力感を感じました。
正直話を聞いてて非常にイタイと言うかひたすら苦痛だったのですが、今から思えば、それらのトークも三人の一人一人がそれぞれバラバラに高度な「一人快芸術」を演じていたのかも知れません。
しかしよくよく冷静に考えると、とてもあれが話芸とも思えないし...。
いずれにしても、私は大学で芸術の勉強をしましたが、いまだ芸術についてよく理解していない、ということだけは確かのようです。
なにせ、システィーナ礼拝堂の天井画を観てもさして感動をしなかったくらいですから(技術的・歴史的、あるいは希少的な面などをのぞいて、宗教に関して深い造詣がないと本当の意味での感動は無いのではないか、とは思うのですが)。